中今 7


私の大切な大切な恩師がなさった、「戦争体験」です。


師はその時、小学生でした。

以下、お話しいただいた口語文で書かせていただきます。


「戦争と言うと、未だに苦労を引きずっている人もいらして、報道でも戦争を知らない人達がするから・・・マイナス面だけを誇張して伝えて、戦争というものを感情に植え付けていきますが・・・

うーん、私の家はね、あまり食べることには困らない家でしたが、ある日、学校でお弁当がなくなったんですね。
それを家に帰って父に言うと、父は「言うたらいかん。それは言うたらいかん。そんな時は、黙って差し上げなさい。」と言いました。

いよいよ家でも食べるものがなくなってきて、それを見越して父が庭にカボチャを植えていたんですね。その実がやっと成って、そろそろ採ろうかという時に、父が私を呼びました。

家の陰から隠れて庭を見ている父に倣うと、男性がそのカボチャに手を合わせていました。

父は、「きっと子供達に食べさせるんだよ。」といって、その様子を見守りました。
私達も食べることが難しくなっていましたが、父はいつでも、庭のわずかな作物を持って行かれる人をそっと見守り、見届けました。

戦争の悲惨さを語る人や報道は多いですが、私は戦争のお蔭で、父や手を合わせる男性の心の清らかさを知ることが出来ました。
それは、私の誇りです。」
と、終始お優しい笑みを携えてお話しくださりました。

師は、小学5年生の時に、お父様を胃がんで、お母様を心臓病で亡くされているのですが、またこのお母様が素晴らしいお方で、心臓の手術を受けるか聞かれた時、
「神様は、もし私がこの世に必要だったら生かしてくださるから。」と拒否なさいました。きっと、費用のことも案じられたのだと思います。
師は、「私は、その母の生き方に、信仰心というものを教えてもらったのだと思います。」
「そんな父や、祖父や祖母や母。皆のお蔭をいただいて、今の私があるんですよ。」とも。



「生きる」ということを、本当に大切にされる師。

日々、1日も無駄にせずに、大切に大切に、生きられる師。

毎日、朝晩、私達の無事を祈念してくださる師。




私は、師という存在に触れるたび、

心の底から、身体の全部から、

敬愛と感謝が溢れてやみません。

そして、お会いし、その姿勢を見つめるたび、

自分自身を省みずにはいられません。



精神豊かな人生を送る方々は、戦時中でも、思いやりや慈しみの中にありました。

体験は、本当に自分自身が決めるものであり、私もそういう人間でありたいと願わずにいられない、貴いお話でした。





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