母の末の妹が、胃癌の闘病の末、2月20日に亡くなりました。
記憶が正しければ、長姉の母とは6歳違いでまだ62歳。
母の葬儀の時、20年以上ぶりに再会した際、抗がん剤の点滴治療に突入し、年内がリミットかと聞いていました。
母の血筋は骨格は様々ですが皆痩せていて、その叔母も元々痩せすぎでしたので、子供用ウィッグを被っていた他は、元気な時の姿のままに見えました。
LINEも交換して、またねー^^なんて言って別れて3ヶ月。
私も怒涛の日々で、いつのまにか月日が経ち、叔母が一人亡くなっていたという時の流れにまだ心がついていけません。
母のもう一人の妹「みっちゃん」と連絡を取りましたが、実感がないと言って、つらそうでした。
共に育った姉妹を亡くすつらさは、もしかしたら親子以上なのかもしれません。。。
夫の退院後の翌日、義父がギックリ腰のような症状になり、認知症の義母に甘えては当然ながらできない義母を大声でバカやらアホやらと罵り、家族皆義父のわがままに振り回され、夫もまたストレスと疲労で体調を崩し、私も発熱🥵
義父の薬の服用一つとっても、何故なのか、不思議なくらい私のサポートなしでは事が進みません。
義両親は二人共が自分の息子の病気よりも自分が優先で、病気について一度も調べたこともなく、私が倒れた時の準備もしていないため、フラフラしながらも動ける時に食事を準備していますが、それを見つけると全く急ぎではない雑用を今今と言い付けられ、発作も出てきているので、それを見て、ついに夫が「俺を殺さないでくれ!」と言いにいきました。
「とにかく今はいい。その腰が治ったらちゃんと話そう。ただ、これだけはもう我慢できないから言っとくけど、退院して2週間経たずに俺はお父とお母に殺されるよ。」と言葉にしました。
周りのことは1mmも考えない思わない上にあまりにわがままな義父の姿に、心底驚いたようです。
このような状況下にあり、私がいなくなると多分本当に夫の命が危なく、救急車に乗っても腎臓の状態を説明できず、点滴でアウトになってしまうため、ここを離れられず、葬儀には行く事ができません。
何故こんな思いやりのない身勝手な人たちのために?とどうしても思ってしまいますが、これも必ず意味のあることなのでしょうね。
ギックリ腰では死にませんし、お味噌汁一つ足りないだけで死にませんが、いちいち大騒ぎして大声でわがまま放題、ありがとうの一言もない人に振り回されて疲れ切っている家族と、その中の死にそうな重病人を見ると、本当に物申したくなりますね。まさに「殺される」という感覚があります。
実の父親ならとことん話し合っているでしょう。
ここは”嫁は奴隷”文化なので、嫁が意見すると反発にしかならないので控えますが、何故誰も何も言ってあげないのかが不思議でなりません。
人間に一番大切なものは何か、人の価値って何で決まるのかを、今、しみじみと学んでいます。
母の兄弟姉妹も、半数になってしまいました。
もう一人の叔母のみっちゃんの気持ちを思うと、とてもつらいです。。。
もう何もかもに疲れてしまって、、、特にストレスですが。。。
でも、いつでも這い上がってきたじゃないかと、休めば大丈夫だと、信じるしかないですね。
そうこうしているうちに義父が「病院へ行く」と聞かなくなり、どの段階でそうなったのか、病院に着いたときには動けなくなり、検査の結果、腰椎骨折でした。
きっと、無理に動いて脆くなっている腰椎が潰れたのでしょう。
安静にしている時は多少歩けていたので。
またしばらく入院となります。
夫も疲れとストレスでまた尿が出なくなってしまい、腹水がものすごい勢いで溜まってきて、この数日で10kg増なので
この間に、夫も私も持ち直せるように努めます。
夫はもうこれからはずっと崖っぷちなので、数日様子を見てどうしても尿が出なければ主治医のいる病院へ連れていきます。