先日、大甕神社へ行ってから、夫の調子が良くなってきています。
数値も、微妙な差ではありますが、ほんの少しずつ少しずつ戻ってきて、クレアチニン値が8を超えていたのが、今は5に。
利尿剤を最大で出していただいているので、これをどのタイミングで減らしていくのか、もう少し機能回復を狙ってからになるかもしれません。
失明寸前だった目は、「糖尿病網膜症」というもので、糖尿病ではないのですが、腎不全で尿が全く出なくなった期間に眼球の中の毛細血管が詰まって壊れ、新しく作られた毛細血管が生えてはいけない場所に生えて失明に至らしめるとの説明を受けました。
家族が付き添っているので、毎週両目のレーザー手術を計5回。4回目まできました。
視力を良くしたり白内障の治療の手術とは違い、眼球の中の毛細血管を焼き切る手術なので、処置中は激痛が続くらしく、人によっては1時間絶叫しっぱなしの人や、途中で逃げてしまう人もいらっしゃるようです。
そして、視力がよくなるわけではなく、ただ失明までの時間を先延ばしにするためのもので、本人にとってはつらい手術ではあります。
終わった後は、視界がショッキングピンクらしく、激痛は数時間続くようです。
飛蚊症も発症したようですが、なんとか頑張っています。
さて、神頼みをしにいくと言い出したとき、夫にアドバイスしたことがあります。
神頼みの心得として、守れないならやめておいてほしい。と。
それは、「神様にお願いするということは、道なき道に、道を作ってもらうこと。その道を何としてでも通り抜く努力を自ら積極的にすること。お願いだけして、病気が治るための行動をしないなら、対価として処置できないものが降りかかるからやめてほしい。覚悟を持ってやり切ると自分に誓うなら、神頼みはものすごくおすすめだし、もうそれしかないと思う。」というものでした。
私は神職でしたので、神頼みの様々なケースを目の当たりにしてきました。
悲しいことに、「神頼みしたから大丈夫!」と逆に気が大きくなって無謀なことをし始めるお方も多いです。制限が煩わしいから神頼みという発想をお持ちのお方もいらっしゃいます。
自分の人生は自分の責任。そこにお力添えいただくことへ、必ず義理を果たすこと。
家族だからこそ余計に口酸っぱく言いましたが、受け止めてくれたようで、それから頑張っています。
病は学び。
他者が簡単にその学びを奪うことができないからこそ、余計に周囲は苦しいこともありますね。
今回もギリギリのところで助けていただきました。
私も、内臓が弱っていることが感じられたので、しっかり養生しようと思います^^