スピリチュアルは日常の中にこそあるもの

スピリチュアルと言うと、まるで日常と別のところにある非日常の世界のように誤解されることは、まだまだ多くあります。

 

そういった誤解の先に抱く嫌悪感や、無関心もまた多く存在しています。

 

 

 

昨今流行している「引き寄せ」「社会的成功」を謳うものは、本来「ニュー・エイジ」に分類され、スピリチュアルとはある意味別物です。

 

 

 

それでは、スピリチュアルとは何でしょう。

 

 

 

私達は生かされている状況の中にある時には、身体に魂が接続されている状態です。

死を迎えると、身体と魂との接続が切れ、身体は大地へ還り、魂は大元へ返ります。

 

 

魂は生き通し、生きるための魂の入れ物である身体を借りながら、様々な体験によって、より繊細に個性を知り磨いていきます。

 

 

 

私達の本質・本体は「魂」に他ならないということに目覚めた意識が、霊的進化を目的とした世界。

それがスピリチュアル世界の本質です。

 

 

 

 

 

ということは、生きて身体を通してする日常の中のすべての体験こそ、何一つ例外なく、それぞれの霊的進化のために用意されたかけがえのない機会である。ということなのです。

 

だからこそ、困難のない人生はなく、失敗のない人生もまたありません。

 

そこから立ち上がる勇気も、学ぶことも、すべてそれぞれが唯一無二の自分という個性を知りながら磨いていく「宝」のような体験だからなのです。

 

 

 

 

 

ニュー・エイジ」の謳う、都合の良いことやものを引き寄せる。とか、無理矢理にでも好きなことだけを好きなだけする。とか、楽して物質的豊かさを手に入れる。とか、幸せに見えるようになる。とかそういったものとは、本質的に異なります。

 

何故なら、表面的なことに固執している時点で、スピリチュアル世界とはすでに主にしている部分が異なっているからです。

 

 

 

 

「幸せ」というものは存在すらしないもの。何故なら、幸せを決める不幸は、スピリチュアル世界には存在しないからです。

 

 

 

 

こうなれば幸せというこだわりは、こうならなければ不幸という概念(不安)に作られています。

 

その不安から生まれる概念は、多くは、他者からどう見られるかという軸のぶれによるものです。

 

 

 

 

自分の霊性にしっかりと軸を立てれば、例えば他者から見て「幸せに見えない」事柄でも、左右されることなくかけがえのない体験であることを噛み締めることができます。

 

 

 

ジャッジするのは自分の身体であり、魂はジャッジしません。

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルは現実世界のものです。

 

心の所在を科学は証明してくれなくても、私達には心があることに変わりがないように。

 

 

 

 

 

この世は受け取り方ひとつで、

何色の世界にも見ることができるのです。

 

 

 

 

 

 

身に起こるすべて、湧き上がる思いすべてに真摯に向き合うことで、

すべての人生はすべての魂を豊かに霊的成長へと導いてくれます。

 

 

 

 

 

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