先日のことです。
境内の掃き掃除中に出会った瀕死の虫さん😓
「えっと・・・あの・・・💧まだ生きてるよねえ??💧こんなとこいたら子猫ちゃん達にもてあそばれちゃうよ?😱(聞こえは良いですが(笑)、本当に野良猫ちゃんの子猫が3匹いるんです)」
虫さん「・・・このままで・・・ここで死なせて・・・」
※テレパシーを使う種なので、こちらの要望は聞いてはくれませんが、あちらの意思は伝えてくることがあります
「えー!!ヽ(;▽;)ノいや、悲惨よ?!大丈夫?!」
虫さん「・・・・。ほっといて。」
「わかった」
次の日、様子を見に行くと、やっぱり悲惨なことに。
ところで、何故なんだろうなぁ????
と思っていると、万物からすぐにお返事が。笑
立て続けに、同じ種の虫さん達が、子猫の住処を目指して死を迎えに行くのです。
そう言えば、昔、野良猫ちゃんが実家のガレージの箱の中で亡くなって、血まみれの白い着物の女性に化けてでたことがありました。
母がすぐに気が付いて、ガレージの箱から血だらけの白猫ちゃんを抱いて、埋葬してあげたのです。
そこまでして土に埋めて欲しい理由を、考えたことが以前にもありました。
私が出せた答えは、「循環のなかにある命として全うしたい」からではないか。でした☆
それで、私も想像してみたのです。
今、日本では火葬が標準的な弔いですが、土葬だった頃に意識を送って、どうだったかを感じてきました。
「自分の命を育んで、人生を支えてくれた万物の少しのお役に立つことへの、大きな充足感。」
「自分の人生が、万物へ、感謝の行為として締めくくれる幕引きへの安心感と嬉しさ」
「一体感の中で変化し(朽ちること)、循環の中にいられる喜び」で、胸がいっぱいになって帰ってきました^^
(あ、帰ってきたというのは、意識がこの身体に帰ってきたという意味です)
もちろん、大切な人々に見送られるという観点では、火葬も同じに素晴らしいお別れの場だとも思います。
しかし、人の人生への観念が、人間以外の万物の循環から切り離されてきてしまったことへの影響は、もしかしたら潜在意識のレベルでは大きいのではないのかな?とも思います。
命の循環の中に戻る “実感” があるだけで、
今の科学の発展の方向性に変化があったり、
共存前提の生活の知恵を重視できたりもするのかなぁ(o^^o)✨
などと想像してみたのです。
裸足で土を踏みしめたり、きっとだれもが、そんなことからでも
自分たち人間が万物から切り離された存在なんかじゃないことを実感できるはず。
そういうささやかなことから取り戻していくことも必要なのですね🥰✨♡
万物からのメッセージはわかりやすく、
そして、トンチンカンを惜しみなく発揮し続ける私でも、
いくつかの体験の中で気になった点と点が、線で結ばれていき、
納得するに至ることもよくありますね^^🌸✨
今回は、そのようなケースのご紹介でした♡