☆成田山御本尊不動明王 御上陸之地☆

一番人の少ない近所の浜なのですが、初めてここへ来たのは、結婚してまもなくの頃。10年ほど前のことです。以前は草木に隠れて入ることもできませんでした。
それでも、機会を得て、いつかお詣りしたいと思っていました。

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久しぶりに来てみると・・・拓けていました!!!!

以前は、「成田山御本尊御上陸之地」という大きな石碑が手前にあり、木々に隠れて見つけたのも奇跡に思えるくらいのところだったのですが、こんなに立派な鳥居も隠れていたのですね。


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御仏像があるのも初めて知りました^^・・・かなり大きいです。4mはあるでしょうか。


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あ、以前手前で見かけたのはこちらの石碑です!
御本尊の近くへ移動したのですね^^

 


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お酒と何かがお供えされています^^
お詣りがあるようです^^


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ん?


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こびと・・・!!!!

 

浪切り不動尊ということです☆

御挨拶すると、なんだろう・・・こみ上げるほどの嬉し涙が^^、
子供の頃から、お不動さんは親戚のおじさんのようなあたたかい感じがして、いつも近すぎず遠すぎずの距離から守っていただいている感覚で過ごしてきました。

お詣りすると、御仏像がにっこり微笑んで、包み込んでくださる感覚は、掛け替えのない大きな喜びの一つです。

 

 

こちらに看板がありました^^

12年前に指定史跡になったために御鎮座になっているこの場所の結界整備を始め、その後長い年月をかけて参道の整備をしていったということなのでしょうか。

 

上陸って、天からだと勝手に想像していたのですが、そうじゃなくて、御仏像を海路でお運びして、海からの御上陸でした。笑笑

 

成田山新勝寺の本尊である不動明王像は、なんと、空海本人が1回彫るごとに3回礼拝する一刀三礼で彫ったものとされているそうなのです^^

成田山新勝寺の始まりは平安時代まで遡ります。939年に関東で平将門の乱が勃発。朱雀天皇すざくてんのう)より平和祈願の命を受けた寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)は、空海の彫った不動明王像を持って京都から関東へ向かいました。940年に平将門の乱が平定されると、朱雀天皇が東国の平和を守る目的で、不動明王を祀ったとされています。

いつかお詣りしてみたいです^^

 

 

 

この浪切り不動尊も、海上安全に加え、万物共生という和平への願いが込められています。

 

浪切り不動尊が見守ってくださっている浜辺です。

大きくなったり小さくなったり、様々な表情を見せ始めた美しい波に、お不動様の子供をあやすようなあたたかな笑顔をずっと感じられました。

今年、41歳になり、結構いい歳なのですが笑、お不動様からすれば、いつまでも愛しい子供のような存在なのですね^^

 

綺麗・・・!と思うたび、喜ばれるお不動様のお顔が視えました^^

 

綺麗な砂の模様です^^白いのは、スカシカシパン
大量に流れ着いていました。

 

 

しばらく美しい夕暮れ時の淡いオレンジに光る波しぶきを、お不動様を感じながら眺めていました。

あっという間に時間が過ぎていきます。

 

お不動様、また来ますね^^

 

 

 

 

 

 

 

 

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